前回、女性鍼灸師が男性に知って欲しい、性的な質問をすることのリスクを書きました。
男性への批判ではなく、人生を損させないために知って欲しかったのです。
今回書きたいのは「女性はどうしたら良いか」です。私の体験談を通してお伝えします。女性の皆さま、こちらもぜひ知って頂きたいです。
もくじ
心のテリトリーには、何度も踏み込まれた
知り合いには、男性の治療家もたくさんいます。信頼できる人もいれば、「こいつは、、」と思う人もいます。
困るのは、こういう人には気をつけろと決まった法則がないことです。そして時に解釈に困る話もあります。
例えばある治療家から、「女性と男性は陰と陽で、つながることは立派な治療だ」と、突如話されたことがありました。私はこの方が以前、自分の女性の患者さんに関係を迫ったことを聞いていました。だから、突如話されたことに、やはり警戒しましたね。
別の体験も。
深層心理をひも解くカウンセラー(男性しかもほぼ初対面)が、私の話を聞いて「父親の男性性や、母親への女性性への憎悪がある。この場合は、性に関してコンプレックスがある」と見立ててくれたのです。その瞬間、そのカウンセラーに憎悪を抱きました。「頼んでねーし」と。彼はそこを踏み込みたそうでしたが、私はやんわり拒絶しました。
面白いのは、私はこの出来事を不快と感じ、それ以降は、彼のやることなすことを「マイナス評価」でみる癖がついたことでした。前回の私のミスで、私が受けた評価をきちんと振り返れたのは、自分が同じ立場になったからです。
女性と男性の陰陽の関係
両親への想いと自分の性との関係
どれほど真実だとしても、不快と感じたり、警戒するならば、それはもう不快で良いと思っています。クライアントにも同じように話します。女性はタイミングや相手を選びます。
そして万が一にも本当に向き合うべき課題だとしても、心やからだにもタイミングが必要です。
不快ならば、「気を付けた方が得だそうです」と伝えるか、一般論で伝える
「それは不快だから止めてね」と言える方は、問題ありません。ここでは、言えない方が折り合いをつけたい時、こうしたら?と提案しています。
NO!とはっきり言えたらよいのですが、私も笑うなどして、ごまかしていたのですから、難しいですね。
今まさに悩んでいるなら、この投稿のリンクを相手方にお送りしてください。「気を付けた方が人生お得だそうですよ」と添えて。
「人生がお得」とお伝えすると、男性も抵抗少なめに受け入れてくださります。実際にお得ですもの。ご自分の言動で女性の評価を下げなくて済むのですから。なので、後ろめたさゼロ、むしろ男性への貢献度マックスな気持ちでで送ってくださいませね。
お酒の席や、くだけた場で聞いてくるなら、このように言うのはいかがでしょうか。
「女性の鍼灸師が言っていたのですが、この手の話って、女性同士でもすごく繊細で、なかには、大きな問題にまで発展する(前回書いた私の非礼)らしいので、注意が必要だそうです。私も女性の、それも信頼できる人としか話さないと決めている」事実ですもの。それ以上しつこい場合は、ハラスメントです。
とどめとしては、最後に「ご理解ありがとうございます」です(笑)。こうお伝えすれば、トラブルにはなりません。でも、不快なら直接その不快感を伝えても良いんですからね。嫌なものは嫌だと伝えることは、誰もが持っている権利です。
女性に避けて欲しいこと
これは性的な話に限らずですが、自分から無理に合わせようとしないことです。
自分から無理に合わせないことは、心を扱うすべての領域で大事な話でして、私もきっと死ぬまで試行錯誤をするのだろうと感じます。
不快だった出来事って、結構引きずるんですよね。そして気づかないうちに、自分の中で、恨みや悩みの材料にしてしまいます。不快感は適切に処理しないとトラウマになるし、モヤモヤとした感情で残ります。
聞き流せていたら大丈夫ですが、多くの女性は、性の話は聞き流しができるほど強くありません。ましてや、相手の応えようと頑張った場合は、なおさら自分をどこかで責めてしまいます。その時の記憶は、からだ的には誤魔化せていなくて、何かしらの負の感情と一緒に、記憶に刻まれています。負の感情は、人生を違うルートに乗せます。
性に関しても、女性同士でもほとんど話さない中で、「どう対処したら良いかわからない」ことが多いんです。慣れていないだけだし、慣れる必要もありません。「慣れていないのは自然なこと」だと思います。だから、頑張って合わせる必要がありません。
生き方が変わったら、自然に対処できたりもします。今無理ならば、合わせない。それだけは、気を付けていただきたいと思います。
またしても、大いに反省
ブログとしてこのような記事を書くと、「自分のかつての大失敗」が次々と出てきます。
性に関する非礼は一度しか記憶がありませんが、今でも相手の心に土足で踏みこんでしまうリスクは、常に抱えています。偉そうに言える立場ではありません。
それでもこうやって書きたいのは、〇〇の会などで、人と輪になりながらお互いのことを話し合うように、体験したことや何を感じたか、そして、それらを一歩外の目としてはどう見ているかを、誰かと共有したいからです。こうやって書くことで、私も新たなスタート地点に立てますし、どなたかの次の一歩に慣れたら幸いです。
お読みくださりありがとうございました。