デマに騙されないための心理学的心得(名越康文TVシークレットトークyoutube分室)より

はじめに 不安感の行き場を見つけるために見て欲しい動画

私の本業は鍼灸マッサージ師ですが、もう一つの肩書きが「からだ研究家」です。からだは身体だけでなく、心や社会とつながって作られるというのが持論です。

この数か月、からだに及ぼす影響を考えるために、様々な情報をネットから集めています。SNSは最新の情報を多方面から得るにはすごく便利なツールです。

だからこそ情報の分類などをすごく意識するのですが、今回は今まで行ってきた分類にすごく迷うことが多くなりました。特に3月から4月にかけては、情報は得ても、そのままシェアすることや意見を加えて出すことには相当戸惑いがありました。

ですが、直感的に行動したものがあります。フェイスブックでは何度か「その情報は違うよ」という投稿をしました。いわいる「デマ」と言うものです。その情報がデマでないか、出典を調べたり、その人の普段の思想を調べたり、科学的な矛盾が起きていないかを調べて、自分の意見を発信しました。

その際に気を付けたのは「デマ」と断定しないこと。そして「その内容だと、こういった点で科学的にはつじつまが合わない」という表現にしたのです。

「デマ」。

今年は例年になくこの言葉が身近になりました。これは「信じないで!!」とだけ伝えるためには、非常にインパクトがあります。でも、個人的にはあまり健全ではないと思っています。一刀両断する行為は、もぐらたたきだからです。人が本当に欲しいのは安心材料だと思うんです。「デマ」だけだと、心理的な欲求は満たされず、また違う情報に飛びつく。

このやり方の一番の問題は、「不安感」が解消されないことです。様々な情報が得られるということは、どれだけ気を付けていても「不安感」を刺激されます。私も今回は何度も不安になりました。

だからこそ、内容の正しさだけではなく、その外側からプロテクトする方法として、名越先生の動画を書き起こします。これは有料版のダイジェスト(一部分)なので、この先を知りたい方はぜひ、お申し込みください。ですが、この冒頭だけでもかなり有意義な情報だと感じました。

この文章は書き起こしですが、先生のあらゆる方面に配慮された話し方をカットして、内容に焦点をあててまとめました。先生の言葉を直接聞かれた方が本当は安心するかもしれません。ぜひ動画も合わせてごらんください。

2020年4月25日の動画です

YouTubeより

ウイルスが人為的に作られたという情報

本当かウソかはわからないですけど、僕も「はあー」って思った。何で「はあー」って思ったかと言うと、「戦争になったらどうしようか」と思ったから。

辻仁成さんのブログで、「フランスでエイズウイルスを発見したノーベル賞学者がはっきりと、『今回のコロナウイルスは人為的に作られたものであると、しかも中国由来ではないか』と言うようなことを書いた」ということで、僕は別にノーベル賞を取った人が絶えず冷静沈着とは全然思わないけど、エイズウイルスを発見した人と言われると、僕は医者だから心が動く。

そしてもう一つ。甲野(甲野善紀、身体技法の研究家、名越先生と親交があつい)先生がこの情報をくれた。甲野先生からそういう情報が一応回ってきた。この二つのことで、「うわっ」と僕も。それが中国がいいとか悪いとかではなくて、今後そういう既成事実が積み重なっていくことで世界が渾沌となるのではないか、と。

僕は、戦争はそんなにめったに起こるものではないと思っているんですよ。これだけ、ある意味グローバル経済の功の方ですけれども、全てが依存しあっているから。

ところが、コロナでこれが一変止まってしまった。止まってしまった時にそういうことが起こる。戦争っていうのは偶然性がどこかにある。誰かが暴走することによって、全体が流れるのが人間。人間はそういう意味では本当に感応する生き物。

しかも読んだのが夜。夜ってやっぱり、妄想的になる、人間は。それで僕は、「うわー」って思って、コロナ以降初めて暗い気持ちになった。無力感で「うわー」ってなった。それでこうらしいねって、何人かの人に言いました。

そのブログは斜め読みしかしなかった。それで二日間、30時間近くくらいたって今朝ですよ、ずっと記事を読んでいたら、僕が信頼できる大学の先生のツイッターのリツイートに、『科学系統の学者の中ではこのノーベル賞の学者さんの中にはトンデモの部分もある。それは常識になっている』、という記述があってさあって冷めた。

『2』って単に2なのに、複数だと思ってしまう

僕はやっぱり、人間ってね、一つ何か自分の権威、自身の価値観に一つ引っかかるときは疑える。

僕はわりかし自分で疑い深い人間でないかとおごりがあった。何でかっていうと自分で調べる人だから。

二つ権威があったら信じる。エイズウイルスを発見した偉大な学者と、甲野先生から回ってきた情報。別に甲野先生に責任はないんやで。僕が勝手にフィルターをかけてしまう。二つっていう時に人は信じる。三つだと確信する。別方向から三つ入る。それぞれが、自分が尊敬していたり、自分が一目置くような事象やったらね。

だから今の状況だと、一つでワイワイいう人はいっぱいいる。一つでは動揺しないけど、二つだと心がぐっと動く人は多いんじゃないかなと僕は思うんです。僕はこれは本当に自分に対する自戒。二つって見た時は、さらに調べる。

『2』っていう数字は淡い境界線。だって単数と複数の違いがある。2って言ったら複数と思ってしまう。ただの2に過ぎないのに。なんかそういうことが恥ずかしくもあり、自分の認識の限界を知りもし、人間と言うことについても考えさせられもしました。

経験談で心が動いて行動することはやめた方がいい

1番低級、あえて僕は低級と言います、自戒も込めて、低級なのは経験談。経験談は僕はもう必ず遠―い目線で読むようにしています。

これはもう本当に怒られるの覚悟で言いますけど、現場のスタッフとか、現場の医療者や現場の看護師さんの書いていること、その大変さというものについては十分涙します。そして自分に何かできないかとも思います。

でもそれを一般化っていうのは絶対しない。これがないと、どこで収束するかはわからないけど、少なくとも6月まで動乱が続く可能性があって、6月まで生き延びられないのではないかしら。

経験談でわーってなるっていうことは、あの、有名なのが、素晴らしいこともやってはるんですよ。あの、ニューヨークのシングルマザーの方が経験をYouTubeで上げられて、それが100万くらいリツイートされたんじゃないかなと。

僕も回ってきたので、それをずっと見たのだけど、たくさんの人が情報を得られてそれは素晴らしいことなんだけど、僕はもう、2分見れなかった。それは何か非常に主観的、もちろんそうですよ、周りでバタバタ人が死んでいる中で、日本人の人本当に気を付けて!とその人が言っているんだけど、専門的知見が全くない、専門的知見も伝聞だった。これが100万回とかリツイートされて見られているっていうのは、これはヤバいと僕は思った。少なくともこれよりも客観的情報がきっとあるっと思って2分でやめた。

やっぱりその経験談で心が動いて行動するということは絶対にやめた方がいいと、僕は、僕の中での基準です。皆さんがそれをまねするかどうかは別にして、僕の中では。それこそ、それで死んでもいいくらいの感じ。もちろん僕は9種体癖なんでわりかし直感的に動く。直感っていうのは、経験談を聞いた後で動くっていうのは今までの経験の中で一度もないです。

カンに従う

僕は高槻の地震があったときに、本当はダメなのかもしれないですけど、どうしても大阪に帰らなければならない事情があって、品川駅までとりあえず。

板倉君は止めたわけですよ。「そんなんやめなさい」と。

状況が不穏だったらやめようと品川まで行った。そしたら人数は少なかったけど平常。「どうですか」って聞いて、今新幹線が動き出したと。なんか予感がして乗った。

ひかりに乗ったら30分遅れ。途中でマネージャーの板倉君に電話した。なんかつきそうやで。「そんなもんタクシーだって6時間待ちですよ」って言われて、ありゃりゃと思って、でも帰りたいし、母親が一人で暮らしているので心配で。

ついて、ざわざわ新大阪駅がしているけど、それで知らんふりして、そこのJRの職員さんに聞いたわけ。「あのー、地下鉄どっちですか」って。地下鉄どっちですかって聞いたら、止まっていたら教えてくれると思ったわけ。

それも僕はカンなの。知っているっていうふうにやるととちゃんと情報が入らないと。

なんかそういうカンがあるわけ。知らないふりして聞いたら、あっちですよって普通にいわはってん。それで僕「あれ、動いているんですか」って。この聞き方が面白いでしょ!

独特の自分のバランス感覚なんだけど、「なんか30分ほど前に動き出したらしいんですけど」と。そして行ったらガラガラの地下鉄にそのまま乗れて家まですすっと帰れた。

これをおごってやったらダメ。からだが勝手が引っ張られていくってことが9種体癖では何べんかにいっぺんあって、この時は別に情報を得てないんですよ。自分の目でいかに一次情報を得ようとするわけ。その時はカンに従う。こんなことはやめてくださいよ。でもカンに引っ張られるっていうことは名越はあります。千回にいっぺんくらい。

でもほとんどその中で僕が行動化するのが絶対にいけないというのは、僕は経験談です。経験だけでは僕は個人的には絶対に信じません。それを僕の行動の規範にはしないっていうことです。

善良な人によって、たくさんの人が崖から落ちるのがこの国の弱点

自分の実生活の中での、損得勘定はもちろんのこと、もっと大きいのは、良心同情心、命が大切だというヒューマニズム、これが一番デマにひっかかる人格です。

僕たちの中で最も弱い部分は、そこでしょ、ヒューマニズムでしょ。

命が奪われたとか、不当に差別を受けているとか、権力はこういう悪い魂胆をしているとか、大富豪はこんなひどいことを裏でやっているとか、つまり、弱者であるものがいじめられている、抑圧されているという、これはこの中には、いっぱいファクトがありますよ。でもフェイクも渦巻いている。それでこれに対して僕たちは一番弱い。

これは僕たちは「善人でありたい」という欲求があるじゃないですか。善人でありたいという欲求。

これはイエス様がよく言ったことやと思うのが、「あなたがもしもいいことをするのであれば、決してわからない形でいいことをしなさい。あなたが断食をするのであれば、誰にも分らないやり方でやりなさい。身なりを整えてニコニコ笑って神様のためにずっと断食をしなさい。」と。

「もしも、私は断食をしています。はったい粉をはたいたような顔をして、私はこれだけ断食をしていますというようなことをしても神様はお喜びにはならない」というような意味のことを福音書にまで載っています。僕は仏教徒ですけど、中学校までミッションスクールだったので聖書も読んでいるんですけど、あれはすごく大きい。

僕たちはよき人でありたい。そして弱者を救いたい。弱者と共にありたい。これは一流の人の証明ですよ。でも、軽薄な場合があるんですよ、あえて言いますけど。それで善良な人によって、たくさんの人が崖から落ちたりするようなことがあるのがこの国です。この国はそこに大きな弱点がある。僕は悪者になるっていうことを覚悟して言いますけど、それが非常に大きい。