もくじ
カメラアプリ機能ってすごい


使えるもんはなんでも使おう!となったのは、京都のフォトグラファー、秋月雅ちゃんの影響です。自撮りが照れくさくて、別に自分の写真なんてと思っていたのですが、雅ちゃんのおかげで、新しい自分に出会えました。私が好きなのはビューティプラス。確かに何かを盛りに盛ってくれています(笑)。でも、これも自分なんだよなーと、今はバンバン使っています。
写真に何を求めます?
私個人でいうと、アプリを使って自撮りをすることがOKになったことって画期的です。写真は、自分が大事にしていることが、あるいは避けていることがわかるツールです。
例えば以前の私は自分の顔や体形が嫌いだったんです。(まあ、それは今でもあります)。
でもそれだけではなくて、写真には正確性を求めていました。ありのままを写し取る。仕事でも必要なスキルだと思っている(思っていたともいえるかもな)、理系として数字を出す、読み取るときもすごく大事なスキルでした。
コロナ時期に写真に求めるものが変わった
子どもの休校後に私も仕事を徐々に変更しました。家にいる時間が増えて、写真を撮ったままではなく、加工するようになりました。そんな時に「写真をピンクに染める」と、心が満たされることに気づいたのです。

ちょうどSNSがぎすぎすし始めた時。不安感をあおられたりもしました。私もどれだけ冷静になろうとしても、すごく揺さぶられる日々でした(私の投稿が不快になった方もおられるかもしれません、この場になりますが、お詫びいたします)。
そんな時に写真がピンクにしてアップすると、自分が幸せになるし、雰囲気が和らことに気づいたんです。そこでなるべく【こんな時はピンクに染めよう】と、写真を加工し始めました。
ピンクに込めた東洋医学的意味
このホームページ、全体のカラーはベージュなんですが、記事のトップに来る写真にはピンクっぽい色を並べ始めました。アメブロもYouTubeも、そしてインスタもピンクを感じさせる色味にしていきました。
東洋医学は、色も大事。心身の不具合や自然の営みとが連動します。「ピンクってあった?」と疑問に思った方はマニアです。私が学んだ方法では、ピンクも関連します。
腎と膀胱。正式には黒ですが、オーラを補うにはピンクと。ピンクを目に入れる=腎気を補う。根拠は科学的にも東洋医学的にもないのですが、私はその願いを込めてピンクにしました。
不安、心配事、恐怖心は腎気を消耗する
災害や先が見えないものに対して、私達人間は「不安感」を増してしまいがちです。これって、正常な反応です。ですが、コロナでは刺激され過ぎました。
東日本大震災後は、数年たっても不安感がからだを苦しめていたケースに数々出会いました。不安は腎気を消耗します。腎気は、生きるために必要なエネルギーそのものです。コロナウイルスから命を守るために発信されてきた情報が命を削ぐ。そのループを断ち切りたいと思っています。
そして何よりも。命を削ぐのは「老ける」んですよ、みなさん。これはよろしくない。いや、年を重ねるのは自然ですが、無駄に老けるのは避けたいんです。
ピンクを選ぶようになって、幸せを感じるようになった
ピンク写真(と書くと、卑猥か、、、)を選ぶようになって、私には大きな変化が出てきました。
生まれて初めて「自分の迷いが消えそう」と思えたんです。
この仕事に取り組むまでは「自分の好みよりも自分がやるべきこと」を優先してきました。その習慣は徐々に減ってきていたのですが、写真を選んだり、加工する時に「かわいい?」と考えることで軸に「かわいい」がインストールされたんです。
可愛いは正義。正義って何かはわからないのですが、少なくとも私はこの写真選びを通して、すごく自分に素直になれた気がしています。
【かわいい】は人それぞれ
最初に書いた「対人関係で疲れる⇔好きな写真を眺める」は、ピンクとは一切無関係です。私はたまたまピンクを基準に選んでいますが、実際は色んな色が好きですし、気まぐれで良いと思っています。モノトーンやビビットカラーで可愛いと思う人もいるでしょう。
一つ注意するとすれば、誰からも指示されない自分の好みを追求することが大事だろうという点です。それぞれの好き。それぞれのかわいい。そういう時間と選び方が時には必要だと思います。
また治療的にも「かわいい」って、魔法の言葉です。それはまたいつか。書きたいと思います。お読みくださりありがとうございました。
五十嵐いつえ
以前からお読みの方は、気づかれたかもしれませんが、このホームページは色が変わりました。またサムネイルに使う写真も以前には入れていなかったコンセプトを入れています。
【かわいい】と【ピンク調】です。
昨年の出版ゼミ企画書の1つに「対人関係で疲れるなら、好きな写真を眺めよう」というセルフケアがあります。逆にいうと「好きな写真は、対人関係の疲れを癒す」と思っています。