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人事を尽くして天命を待つ生き方

東洋医学で気を用いると、スピリチュアルの世界がとても身近になります。

魂とか、潜在意識も、私の中では気で見える世界観と同じカテゴリーに入ります。

少し偉そうに書かせてください。

東洋医学を治療や生き方に長年用いてきて、そして自然科学の可能性と限界を体験した者として、それでも見えない世界に警鐘を鳴らしたいと思っています。

天命はあっても、人事を尽くしてこそだからしっかりと自分の足で生きよう、地に足をつけようということです。

むしろ地に足付けた視点でないと、そこで得た知識が時として生き方の言い訳になり、結局は場を変えも、同じテーマで苦しむと感じています。

『運命は決まっていてそして自由である』

これは私の尊敬する武道家の先生の言葉です。

私自身、この考え方に共感しています。というよりも、この考え方以外に説明がつかないことが数ありました。

でも。

運命に焦点を当ててしまうと、人は、自分の主体的な行動を軽んじる傾向を感じます。

『私の運命は決まっているから、あとは流れに任せよう』

『あの人の不幸は運命だよね』

『私は前世が〇〇だったから、私の魂は〇〇だから』

そのような人からは、生きる輝きが感じられません。

武道家の先生は、有名になられた今もよりよく生きるために(と解釈しています)日々鍛錬、研究を繰り返されておられます。

運命は受け入れたうえで、自分がしっかり生きる。改めてこのことを考えさせられています。

天命や運命を理解している人こそ、肉体への対処法の説明を

私自身は、まだ魂も潜在意識も理解できた自信がありませんが、高次元を知った方々の多くで人生が混乱していると感じます。

これは学んだ人のせいではなく、わかっている人の説明に大事な視点が欠けやすいからです

現実の悩みには必ず感情と記憶が作用します。人間の体は肉体であり、それらは感情と記憶がアクセルとブレーキとなり生き方を作ります。

一方、魂や潜在意識、高次元の世界観では肉体が存在しません。 ですから、アクセルブレーキを作用させる対象が存在しません。 時として戸惑いや葛藤という感情が、軽んじられる傾向には、明確な回答を持ち合わせていませんが、違和感があります。

宇宙史や人類史の観点で人の行いを見ると、人間の言動はいく世にもわたり地続きであり、因果関係には善いも悪いも含まれません。

では、一人一人の懸命な茂垣や葛藤は意味がないのでしょうか。私は、意味があると思っています。なぜなら、人の意志は空間を、組織や社会を作るからです。

できれば、高名な方や、能力を発揮されている方には、この問いこそ発信して欲しいと願っています。人は誰が言うかを信頼のバロメータにしています。

潜在意識、スピリチュアル、魂の救済、あるいは占い。あらゆる手段を用いて見ている広い話を言動に落とし込む。その行動こそ、その方々の人事なのではと思っています。

業界的には40代は青い身分です。五十嵐 いつえ