言葉は理解と隔たりを産む 【発達障害】【愛着障害】【機能不全家族】

アスペルガーという言葉を私が知ったのは今から4,5年前です。あるお母さんのつぶやき、「Aさん、あの人絶対アスペルガーだわ」というフレーズで知りました。

多くのお母さん方が、Aさんを「何かおかしい」と捉えていました。私はAさんにはお母さんとの関係がうまくいっていないと捉えていました。

皆様、この状況をどう思いますか。

 

タイトル通りです。言葉はある場面では人を助け、同時に人を差別の対象に陥れるリスクを感じています。

 

私がAさんをお母さんとの関係がうまくいっていないと判断したのは、私が自分の課題に対して多くの方から「母親との関係がこじれたため」と指摘されていたからです。当時かなりこの問題と向き合っていました。だからAさんを、「愛着障害がある機能不全家族で育った大人が親になるとこうなる」という枠で理解したからです。

 

先日、心がゆらぐ出来事がありました。その相手側に起きている心の奥底が理解できたので、一刀両断をしてはねのける事もできたのですが、理解できる分揺らぎました。

その時に知人から教えてもらった内容が【人格障害】でした。その方は相手側の傾向として教えてくださったのですが、私は自分にもその傾向が当てはまると思ったのです。

正直に書きます。

私は気分が悪くなりました。

 

心が揺らぐ出来事だったので、SNSでの発信をしてアドバイスを仰ぎました。大勢の方の目に止まっています。

読んでいる方々の中で、「愛着障害の機能不全家族で育った人格障害者同士の問題だよね。引き寄せだよね」と蔭で言われてもおかしくないなと思ったのです。(被害妄想もこの障害の特質よと指摘されるかもしれませんが、経験則の根拠があるので、あながち外れていないはずです。)

 

同時に、どれだけ努力してもこの特性は変わらず持ち合わせて、コントロールできないのかもなとがっかりもしました。

 

〇〇障害、機能不全家族などという言葉は、どのような過程で生まれてきたのでしょうか。おそらく、生きる上で不自由な部分や苦しみを理解するために、登場したと思っています。

救われるケースは、カミングアウトした場合でしょう。「私は〇〇障害です」というと、ほとんどの方は優しく対応してくださります。ですが、「〇〇障害」という不具合を用いずに向き合うと、相手側から「○〇障害よ」と決めつけられます。その時に込められた意図は「自分の立場を正常と思わない事、自覚しなさい」という隔たりです。

 

私自身は、自分の生きづらさを自ら〇〇障害という形で発信したことはありません。また、愛着障害や機能不全家族は専門家の発信を読めば読むほど、どの家庭でも起きる事だと思いました。そして東洋医学は、人間に起きる様々な不具合を【陰陽五行のエネエネルギーバランが乱れたため】という観点のみで理解してくれます。この方が私は好きです。

 

今、Aさんと向き合うとしたら、私と同じ背景を感じ取りながらも、隔たりが生じる言葉で彼女を説明しないと思います。当時の私は、私がその枠で苦しんでいた事での執着で起きていたと思います。

 

理解を示すための言葉でありながら、多くの方がその枠に収める事に執着する何かを感じています。そして私は、その枠が不要だと思っています。

 

五十嵐いつえ

ランキングにご協力お願いいたします。


人気ブログランキング