大人にも子どもにも励ますことが大事

「7時49分だよ」

月曜日の朝。集団登校一分前。。。。

 

本日夫の言葉で家族全員が起きました。家族そろっての寝坊は初めてで、子どもは遅刻決定。一緒に学校に行きました。

 

月曜日は全校朝会などがあり、本日は体育館に連れて行きました。その途中の廊下で女性の声、「どっちにするの!まる?ばつ??決めなさい!!」。小学校中学年らしい子どもが廊下に寝転がっていました。

私とその子が目が合いました。ほんの一瞬だったのですが、にこっと微笑んでくれたのです。でも表情はまた戻って、目を細めて頬に緊張が起きていました。

一方先生は、私たち親子が通りかかったことで、一瞬止まりましたがそのまま続けます。送り届けた後にもそのやり取りは続き、引っ張りあげて先生が手を挙げたとき、子どもはぶたれると防御姿勢になりました。※先生はぶっておられません。子どもがぶたれると判断しただけです。

 

子どもが通う学校には支援クラスがあります。先生も通常のクラストは異なり複数の先生方が配置されています。廊下で寝ていた子どもは、支援クラスの子どもかなと思いました。この場面に出くわしながら私は何もしなかったのですが、それは本当にやるなら【大人が抱えている問題と向き合う覚悟が必要】と思ったからです。

 

 

街角で子どもに激しくしかっている母親を見かけて、あなたはどう思いますか?

先ほどのシーンを読んで、皆様どう思われましたか?

「だから公立はだめだ」「教師はダメだ」「子どもが甘えている」など、様々な意見があると思います。

 

私の意見をまずお伝えしますと、当事者の親ならば、このシーンで感じたことで具体的な要望を伝える意味があると思います。同時に、子どもにも親としてどう向き合うかを再確認するシーンだと思っています。

ですが、このシーンは街角の親子のシーンとも同じです。親として向き合っている場合に、当事者として望む援助は何なのか?私の中で答えが見つからない限り、学校で起きていたシーンに介入してしまうと、単なる自己満足になると思いました。

 

私も過去に何度も子どもを街中で叱りました。それは必要と判断してですが、個人的な感情の爆発も当然含まれていました。仕事、家族関係、友人との問題で悶々と悩んでいる時は、子どもへ忍耐が一気に崩れる傾向があります。

その時に、欲しかった介助は何か。当事者としても治めたいのです。できれば【私への励ましと、子どもへの励まし】という形で。

 

 

教師も親であり、人間である

私はPTAに関連してや、子どもへの要望などで何度も先生方と話をしています。その中で先生方の葛藤や、抱えているものを垣間見る事があります。【教師も出来ない事がある】この前提で先生方や学校運営をみないとみんなが苦しくなると思うのです。それは、子育てでも同じです。

 

子どもに関しては、要望はお伝えします。その要望は何度も練って、子どもの学校生活に必要な具体的な内容を明確にしてお伝えするようにしています。あるいは、起きたことの対応に関して私の意見を伝える場合もあります。会話の中で先生の気持ちが理解できた時は、謝罪する場合もあります。友人からは「上品に殴り込む」とおほめの言葉を頂いていますが、クレーマーやモンペ扱いされても、気になりません。「あの子の親は厄介だから気を付けよう」で、子どもの自尊心が保たれるなら、上等と思っていもいます。

 

このように、伝える意志があるからこそ大前提で思っているのが、【先生は人間だ。人間は完ぺきではない】です。そして、【先生も親の葛藤と同じものを抱えている】という共感です。ですから、冒頭のシーンに安易に手が出せませんでした。

 

鍵は子どもの笑顔にある

いち保護者が、自分の子ども以外の学校生活や先生方の相互理解を深めていくのはかなり困難です。ですが、あの一瞬の笑顔は守りたいし、励ましたいなと思いました。そしておそらく、先生方も同じ思いだと思っています。

これまで、当事者としても学校と交渉したものとしてお伝えすると、当事者の親だからこそできる事があります。周りの親としては、その状況を理解し、学校や先生を含めてサポートするという姿勢が状況改善につながると思っています。

子育ては全てのシーンで、協力が必要です。親だけが頑張る、先生に預けたから大丈夫・不安ではなく、多くの大人の理解とご協力があると、子どもたちの素敵な笑顔が保たれると思います。

 

五十嵐 いつえ

 

 

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